ラグビーワールドカップ2019日本大会で大活躍した福岡堅樹(ふくおかけんき)さん。
選手として絶好調だった時に、そのキャリアに終止符をうち、医師になるべく歩き始めた福岡堅樹さんのこれまで人生をご紹介します。
こちらの記事では、福岡堅樹さんがラグビーを引退し、順天堂大学医学部に入ったのはいつか、今もラグビーをしているのか、経歴や家族について、どこよりもわかりやすくお伝えします。
どうぞ最後までお読みくださいね。
福岡堅樹は順天堂大学の医学部生!ラグビー引退したのはいつ?
福岡堅樹さんは、2021年2月20日、順天堂大学医学部に合格したことを発表しました。
現役ラグビー選手として活躍している中での「医学部合格」でした。
ラグビー選手として最後の試合は、2021年5月23日に秩父宮ラグビー場で行われた、ジャパンラグビートップリーグの決勝戦、対東京サントリーサンゴリアス戦でした。
この試合でも福岡選手はトライを決めて、チームは五年ぶりに優勝。
最優秀選手(MVP)にも選ばれました。
福岡選手は最後の試合をチームの優勝で締めくくったのです。
医師になる夢と、ラグビーのトップ選手として活躍する日々。
そのどちらも、どちらか一方を成し遂げること自体、誰にでもできることではありませんよね。
福岡堅樹さんはそれらをどのように両立したのでしょうか。
2016年、社会人ラグビーチーム(パナソニックワイルドナイツ)に加入した年に、医学部進学のための受験勉強を再開した福岡堅樹さんですが、日本代表としてワールドカップに出場するなど、すでにトップ選手として活躍していました。
その勉強方法を具体的にみていきましょう。
福岡堅樹の勉強方法は?文武両道の秘訣!
リオデジャネイロオリンピックなど、海外遠征の時にも単語帳を持っていったり、通っていた予備校のオンライン授業を遠征先で受けたりと、隙間時間をうまく使って、勉強とラグビーの両立をはかりました。
「忙しい人ほど短時間で良い仕事をする」
というのは一般的によくいわれることですが、福岡選手の場合も、時間がないからこそ、集中して勉強とラグビーに取組めたのかもしれませんね。
その秘訣こそが、集中力と切り替え。
福岡堅樹さんは、次にように言っています。
家に帰って復習しなくて済むくらい、まずは授業に集中する。内容を聞きながら整理し、自分で問題を解き、理解できているかを確認する作業までやっていた。
(引用:西スポweb)
父である鋼二郎さんは、堅樹さんは子どものころから理解力の優れた子どもだった、と言っています。
もともと備わっていた素地に、人一倍努力をしたことで、人生において、二つの大きなことを成し遂げることができているのかもしれません。
福岡堅樹さんは、
目の前のことに真剣に取り組んできたからこそ今がある
といいます。
1%の才能と99%の努力が実を結ぼうとしているのですね。
福岡堅樹は今もラグビーしてる?
福岡堅樹さんは現在はラグビー選手としての活動はしていません。
2023年9月現在の活動は
・順天堂大学医学部生
・英国の自動車、ランドローバーのブランドアンバサダー
2022年に松島幸太朗選手とともにアンバサダーに就任。
2017年の田村優選手、2020年の稲垣啓太選手らとランドローバーの魅力を伝える活動をしています。
・埼玉パナソニックワイルドナイツ アンバサダー (2023-24シーズン)
・講演会
・順天堂大学ラグビー部の部員から技術的なアドバイスを求められることもある
ラグビーワールドカップフランス大会にちなんだ様々な番組にも出演するかもしれませんね。
久しぶりに福岡堅樹さんに会えるのが楽しみです。
福岡堅樹の経歴や生い立ちは?ピアノが上手ってほんと?
それでは、福岡堅樹さんの経歴をご紹介しましょう。
名前:福岡堅樹(ふくおか けんき)
生年月日:1992年9月7日
出身地:福岡県古河市
身長:175㎝
体重:83kg
出身高校:福岡県立福岡高校
出身大学:筑波大学
ポジション:ウィング(WTB)(引用:Wikipedia)
医学部進学とラグビー選手としての活躍、それらを成し遂げた福岡堅樹さんとは、どのような人物なのでしょうか。
その生い立ちに迫ってみたいと思います。
福岡堅樹(ふくおかけんき)の生い立ちは?幼少~大学入学まで
福岡少年は、5歳の時に玄海ジュニアラグビークラブでラグビーを始めました。
ちょうどこのクラブが新設された時のようですね。
幼稚園生から中学二年生まで総勢18名からスタートのチームで、福岡少年は幼稚園生なので、最年少だったのではないでしょうか。
中学時代は陸上部とラグビー部を掛け持ちし、その傍らでなんと、3歳から15歳までピアノを習っていたというから驚きです。
もちろん、勉強もしっかりとしていたので、県内の進学校である福岡県立福岡高等学校へ進学しました。
高校時代にはラグビーの傍らバンド活動もしていたというので、これも驚きです。
福岡高等学校は、全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場するくらい、ラグビーが強い学校だったのですから。
高校生の時に、医師になることを決め、医学部を目指し受験しましたが失敗してしまいます。
ここで驚くべきは、この時に受験したのは筑波大学医学部のみで、福岡青年は筑波大学のレベルに達していなかったにも関わらず受験した、ということです。
なので、落ちたことを素直に受け入れ、気持ちを切り替え一年間浪人生活をします。
一年後、筑波大学医学部に再度挑戦しますが、やはり、医学部は落ちてしまいます。
ここで、福岡青年は頭を切り替えました。
どう切り替えたかというと。
今は医学部以外に進んで、大学卒業後にまた医学部に再挑戦しよう、と。
一年間の浪人生活の中で、福岡青年の中に、ひとつの「焦り」のようなものがありました。
自分が浪人生でいる間に、ラグビー選手として活躍していく同僚たち。
彼らを見ていて、「このままここにいては置いていかれる」と思ったのですね。
医学部を諦め、筑波大学情報学群に進むことを決めました。
そして、ラグビー部に入部しました。
福岡堅樹(ふくおかけんき)の生い立ちは?大学入学~医学部入学まで
すぐに、筑波大学の主力メンバーとして活躍しはじめ、全国大学選手権では準優勝に貢献。
2013年4月には日本代表に初めて選出されました。
2015年も全国大学選手権で準優勝。
ラグビーワールドカップ2015の日本代表に選出されました。
2016年 パナソニックワイルドナイツに加入し、7月には、リオデジャネイロオリンピックの7人制ラグビー日本代表に選出
11月にはスーパーラグビーサンウルブズのスコッドに入りました
2019年には、ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出され大活躍。
大会を盛り上げた「別格だったマグニフィセント・セブン(豪華な7人)」に日本人で唯一に選出されました。
2020年の東京オリンピック7人制ラグビーに出場し、それを最後に現役引退するとしていた福岡さんでしたが、オリンピックが2021年に延期されたので出場を断念し、2021年5月のジャパンラグビートップリーグの決勝戦を現役最後の試合としました。
福岡選手は、その足の早さは圧倒的で、実力は世界レベル。
華のある選手で、私の大好きな選手のひとりでした。
間違いなく日本のラグビー界を引っ張っていく存在であったと思います。
選手としての福岡堅樹さんを見れないのは残念ですが、今後、医師となって、ラグビー界に戻ってきてくれることを祈っています。
福岡堅樹の家族は医師が多い?なぜ医師を目指した?
福岡堅樹さんの家族には医師家系なのですね。
母方の祖父は内科医、父、鋼二郎さんは歯科医なのです。
だからといって、ご両親は医師になることを強要したことは全くないそうです。
福岡さんが医師を目指したのは、高校時代の怪我がきっかけでした。
高校2年、3年と二年続けて、膝の前十字靭帯断裂の重傷を負ってしまいます。
特に、3年生の時は、高等学校ラグビーフットボール大会(花園)に出場するための予選を控えた大事な時期だったのです。
その時の主治医が、大会に賭ける思いを理解してくれて、手術以外の選択肢を示してくれたことで、医師になる意思が固まったのです。
医学部受験を2度失敗、のち、ラグビー選手として大活躍する中でも、医師になる夢は消えなかったという福岡さん。
ラグビー選手として生きて行くという選択肢もあったでしょう。
いや、その方が道ははっきりと見えていたはずです。
これからも続くであろうトップ選手としての地位、さらには指導者としての活躍していくことも可能だったと思います。
しかし、それらを投げうってでも、10年来の夢を実現し、医学部合格を果たす福岡さんは、身近な家族が医師だったことで、その夢が実現可能であることをリアルに描けたのかもしれません。
一流のラグビー選手として活躍してきた経験は、今後、医師になったときにきっと生かされることでしょう。
福岡堅樹は順天堂大学医学部生、今もラグビーしてるか、経歴、家族についてのまとめ
まとめです。
・福岡堅樹は順天堂大学医学部生
・福岡堅樹は今、ラグビーチームのアンバサダー
・福岡堅樹は筑波大学情報学郡卒業
・福岡堅樹はワールドカップ2015、2019に日本代表として出場
・福岡堅樹の家族:祖父は内科医、父は歯科医
最後までお読みいただきありがとうございました。
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