ラグビーワールドカップ2019で大活躍だった田中史朗(たなかふみあき)選手は、優しい笑顔が魅力的なアスリートですよね。
小さな体で果敢にプレイする様子に魅了された方も多くいたのではないでしょうか。
このブログでは、田中史朗選手の引退の噂、嫁や家族、経歴について、どこよりもわかりやすくお伝えします。
どうぞ最後までお付き合いくださいね。
田中史朗は引退したの?
「田中史朗 引退」
の文字がインターネット上に見られますが、本当なのでしょうか?
詳しく調べてみたところ、史朗選手がラグビー選手を引退している、という事実はありませんでした。
2021年にキャノンイーグルスからNECグリーンロケッツ東葛に移籍していますので、おそらく「キャノンイーグルを引退」という意味なのだと思います。
田中史朗選手のエネルギー溢れるプレイのファンとして、まだまだ史朗選手を見ていたい!
と思います。
そんな私の願いにこたえてくれているかのような、史朗選手のコメントがありましたので、ご紹介しましょう。
しんどいけど、やっぱりこの小さいおっさんが、年齢いった人が現役で頑張れば、周りの人にも何か伝えられるんじゃないかと。
特に子供たちに、僕みたいに小さい人がやっていることで、ちっちゃくても頑張れると言うことを伝えたい。(引用:スポーツ報知)
このように語ってくれています。
ラグビーワールドカップ2023で、再びラグビーが注目されることは間違いないでしょう。
日本中の子供たちが未来の日本代表を目指すその先に、史朗選手の活躍があるのだと思います。
田中史朗の嫁は元バドミントン選手?子供や家族についてもご紹介!
田中史朗選手の奥さんは、元実業団バドミントン選手です。
アスリート夫婦なんですね。
では、お嫁さんのプロフィールをご紹介しましょう。
旧姓:作山智美
生年月日:1988年6月21日
出身地:埼玉県
奥さんは、三洋電機のバドミントン部所属していました。
二人の出会いはどのようなものだったのでしょうか?
奥さんと同様、史朗選手は当時三洋電機のラグビー部に所属していました。
奥さんにラグビー部に知り合いがいて、その関係で史朗選手と出会ったいわれています。
付き合い始めて五か月後に結婚しているので、とても気が合ったのかもしれませんね。
二人は2011年12月24日に結婚、奥さんは、結婚を機にバドミントン部を引退しました。
その後、アスリートフードマイスターの資格を取得し、史朗選手を食事面でサポートしています。
2018年からは、ミズノバドミントンアドバイザリースタッフとして、ミズノバドミントン部に所属の選手たちのサポートをしています。
ワールドカップ2019日本大会の後には、おしどり夫婦な様子がよく画面に映しだされていましたね。
奥さんが子どもたちとともに、固唾をのんで試合を見守る様子はいまも私の脳裏に刻まれています。
田中史朗の家族は?
田中選手にはお子さんが二人います。
長女の愛真(えま)ちゃん
2013年生まれ
長男の真央(まお)くん
2016年生まれ
自宅は群馬県太田市にありますが、シーズン中は、史朗選手は千葉県で単身生活をしています。
ラグビー選手を父に、バドミントン選手を母にもつ子どもたちはどのような子どもなのでしょうか?
2023年現在、小学生の子供たちですが、夢はアスリートになることだそう。
長女の愛真ちゃんはバドミントン選手に、長男の真央くんはラグビー選手になるのが夢なんです。
史朗選手が自宅にいる時は、なんと家族四人で早朝からトレーニングをするのが日課で、こどもたちも筋トレやトレーニングを大人と同じメニューでこなしているというから、驚きです。
アスリートの親としては、やはり自分と同じ道を歩いてほしいと思っているのかと思いきや、田中夫婦はそうではないようです。
子どもたちにその将来を強要したことはなく、また、トレーニングも強要しておらず、子どもたち自ら「やりたい!」という気持ちを強く持っているというので、二人の将来に今から期待してしまいますよね。
田中史朗の身長と妻の身長を比べてみると、驚きの結果が!
史朗選手はラグビー選手としては小柄ですよね。
それに対して、バドミントン選手は高身長の人が多い印象があります。
田中夫妻の身長差はどのようになっているのか、調べてみましたよ。
史朗選手の身長は166㎝
奥さんの身長は171㎝
身長差は5㎝でした!
奥さんの方が5㎝高いのですね。
やはり元バドミントン選手の奥さんは背が高かったですね。
史朗選手の身長166㎝は一般的な男性と比較しても、小柄な方ですね。
大きな体格の人が多いラグビー選手ですが、ポジションによって小柄な選手がいるのもまた、ラグビーの特徴ですね。
特に、史朗選手のポジション「スクラムハーフ」は小柄な人が担っています。
スクラムハーフは、密集からボールを取り出す役割を担っていて、しゃがんで地面のボールを拾うことが多いのです。
体が大きいより、小さい方が小回りが利くポジションなのです。
とはいえ、体格の大きな選手とぶつかる機会もあるので、体を強くしておかなければなりません。
体が小さい史朗選手が大事にしてきたことを次にご紹介します。
田中史朗は小さな巨人?!
史朗選手は子どもの頃から小柄で、学校ではいつも一番前か前から2番目でした。
小さいからこそ、負けず嫌いになったし、人一倍努力した、と史朗選手はいいます。
「小さい」を言い訳にせず、誰よりもトレーニングをし、試合では頭を使ってプレイをする。
そうしてトップアスリートになったのですね。
史朗選手はまた、努力は裏切らない、とも言っています。
しんどいことをやり続きた先には、必ず栄光が待っている、と。
史朗選手はラグビーを、野球やサッカーのようにメジャーなスポーツにしたいと、ラグビーの普及活動にも力を入れています。
トップアスリートとして歩んできた道のりは大変なことも多かったのでしょうが、今まさに努力している選手や、これからの選手の卵たちに、一筋の強い光になることは間違いないですね。
田中史朗のプロフィールや経歴を紹介します!
史朗選手のプロフィールをご紹介します。
名前:田中史朗(たなか ふみあき)
生年月日:1985年1月3日
出身地:京都府
身長:166㎝
体重:75kg
出身中学:京都市立洛南中学校
出身高校:伏見工業高校
出身大学:京都産業大学
ポジション:スクラムハーフ
座右の銘:「信は力なり」「人生は一度きり」(引用:Wikipedia)
近所のラグビー部のお兄ちゃんにすすめられたのがきっかけで、9歳の時にラグビーを始めたという史朗選手の経歴をご紹介しますね。
田中史朗のラグビーの経歴は?
・伏見高校伏見工業高校時代に全国高校ラグビーで優勝
・京都産業大学在学中の2006年、大学選手権で準優勝
・2007年 三洋電気ワイルドナイツ(現在の埼玉パナソニックワイルドナイツ)に加入し、一年目よりレギュラーとなり、ジャパンラグビートップリーグで新人賞を獲得。
・2008年 日本代表に選出され、初キャップを獲得します
・2011年 ラグビーワールドカップ2011の日本代表に選出
・2012年 世界最高峰のスーパーラグビーに所属するハイランダーズ(ニュージーランドのチーム)の入団。なんと日本人として初の快挙でした
・2014年 バーバリアンズ(世界の一流選手で構成されるチーム)のメンバーに選出
・2015年 ワールドカップ2015 日本代表に選出
・2019年 キャノンイーグルスに加入
・2019年 ワールドカップ2019 日本代表に選出
・2021年 NECグリーンロケッツ東葛に移籍
史朗選手は、ラグビー選手として第一線で活躍し続けているのですね。
9歳からラグビーをしている史朗選手ですが、ラグビー選手としてスイッチが入った出来事があったようです。
田中史朗のラグビー選手としての分岐点とは?
それは高校二年生の時。
史朗選手のパスのミスで花園出場を逃してしまった出来事がありました。
3年生にとっては、花園出場の最後のチャンスだったのですが、叶わず、史朗選手は自分を責めます。
その時、先輩たちは「お前たちは来年は花園へ行け!」
と激をとばしてくれました。
その言葉を聞いて、史朗選手のやる気に火が付きます。
史朗選手たちはトレーニングを重ね、翌年、花園に出場することができたのです。
きっとこの時に、史朗選手は日々のトレーニングの重要性や、練習でやっていることを試合でどう生かすか、ということに今まで以上に真剣に取り組んだのではないでしょうか。
そして、「努力は裏切らない」ということを身をもって体験することができたのではないかと思います。
田中史朗の引退のうわさ、嫁や身長、プロフィールについてのまとめ
まとめです。
・田中史朗はラグビー選手を引退していません。
・田中史朗はNECグリーンロケッツ東葛所属の現役選手です
・田中史朗の嫁は元バドミントン選手
・田中史朗の身長は166㎝ 奥さんの身長は171㎝
・田中史朗は9歳からラグビー始めた
・田中史朗は伏見工業高校時代に花園出場し優勝
・田中史朗は京都産業大学時代に大学選手権に出場し準優勝
最後までお読みいただきありがとうございました。
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