ワールドカップ2023フランス大会に、怪我で離脱したマシレワ選手の代わりに招集された山中亮平選手。
2019年日本大会で活躍した山中亮平選手は、フランス大会でもその活躍が期待されています。
第一線で活躍するラグビー選手は、学生時代から活躍していた選手が多いですね。
山中亮平選手はどこの高校の出身なのでしょうか。
山中亮平選手を支える奥さんや子供さんなど家族の存在や、ラグビーの経歴、日本代表でのポジションや過去のドーピング疑惑など、この記事では山中亮平選手のことが丸ごと全部わかります。
どうぞ最後までじっくりお読みくださいね。
山中亮平の高校や大学はどこ?
山中亮平選手の出身高校は、ラグビーの名門高校、東海大学付属仰星高校(とうかいだいぎょうせいこうこう)です。
現在は、学校の名称が、東海大学付属大阪仰星高校(とうかいだいがくふぞく おおさかぎょうせいこうこう)と変更になっています。
大学は早稲田大学へ進学、ラグビー蹴球部に所属しました。
それぞれ詳しくみていきましょう。
山中亮平の高校は東海大大阪仰星高校!
東海大大阪仰星高校は、全国高校ラグビー選手権大会(花園)に18回出場して、準決勝、決勝合わせて7回、とまさにラグビーの名門校です。
東海大大阪仰星高校のラグビー部には特徴があります。
それは、理論派のラグビーです。
つまり、戦術がしっかりとしていて、「ラグビー」について考える時間がとても多いことを意味しています。
その理論のラグビーを展開し、山中亮平選手が高校3年生の時には、全国高校ラグビー選手権大会で優勝をしました。
ラグビーで勝つためには戦術が必要で、どの学校でも取り組んでいるはずですが、東海大大阪仰星のような強豪校はその精度が高いのでしょう。
それでは、高校の詳細についてもご紹介しましょう
名称:東海大学付属大阪仰星高等学校
所在地:大阪府枚方市
偏差値:57-63
卒業生:上原浩治(元メジャーリーガー)
長田智希(ラグビー日本代表)(引用:東海大大阪仰星高校ホームページ他)
ラグビーの他、サッカーや野球などにも力を入れている同校からは、多数のラグビー選手、サッカー選手、プロ野球選手を輩出しています。
文武両道の学校なのですね。
山中亮平の大学は早稲田大学!
高校卒業後、山中亮平選手はラグビーの強豪校である、早稲田大学スポーツ科学部に進学しました。
早稲田大学 ラグビー蹴球部は、大学選手権で16回と、最多優勝しているラグビーの名門校なのです。
山中亮平選手が在学していた、1年生と2年生の時にも全国大学選手権で連覇を果たしています。
それでは、山中亮平選手が進学した、早稲田大学 スポーツ科学部についてご紹介しましょう。
名称:早稲田大学 スポーツ科学部
所在地:埼玉県所沢市三ケ島2-579-15
偏差値:65卒業生:桑田真澄(野球)、瀬戸大也(競泳)、五郎丸歩(ラグビー)、羽生結弦(フィギュアスケート)(引用:早稲田大学ホームページ他)
日本や世界で活躍した有名選手が卒業しているのですね。
早稲田大学スポーツ科学部では、スポーツに関わることを様々な角度から学ぶことができます。
指導者、支援者、経営者、研究者などスポーツに関わる人には色んな人がいますね。
そのような人たちを育てることが、日本のスポーツ界の層を厚くし、世界で活躍できる選手を育てることに繋がっていくのですね。
山中亮平の妻(嫁)や子供について知りたい!
山中亮平選手の奥さんや子供さんは一般人のため、あまり多くの情報は公開されていません。
その中でもわかっていることをお伝えしたいと思います。
奥さんのお名前は「るみか」さん。
山中亮平選手が24歳の時、2012年10月に結婚されているので、2023年10月で丸11年経つ、ということですね。
子供さんは3人います。
長男の凜太郎くんは2023年現在10歳で、2年前の8歳の時にラグビーを始めました。
その下には長女、次男がいますが、お名前はわかっていません。
トップ選手ともなれば、遠征も多く、家族と暮らす時間は少ないのが現状でしょう。
3人の子育ても奥さんのワンオペになっているのかもしれません。
それでも、過酷なトレーニングとポジション争いにおいて、家族の存在が山中亮平選手にとって、心の支えになっているのは間違いないでしょう。
お父さんの活躍をみた子どもたち、山中亮平Jrが日本代表入りすることも夢ではないかもしれません。
山中亮平の出身、誕生日など経歴をご紹介!
山中亮平選手の出身地は、大阪府大阪市住之江区です。
誕生日は、1988年6月22日生まれの35歳。
ベテランと言われる年齢ですが、まだまだ活躍できる年齢ですよね。
山中亮平選手は、中学二年生、14歳の時にラグビーを始めましたが、それまではサッカーをしていました。
ラグビーは全くの初心者でしたが、ラグビー部で楽しく練習するなかでチームはどんどん強くなっていって、大阪府で2位になりました。
山中亮平選手自身もラグビーが上達して、なんとオール大阪選抜に選ばれました。
サッカー経験のある選手はキック力があるので、それも関係しているのかもしれませんね。
ラグビーを始めてすぐに頭角を表した山中亮平選手ですが、成長するにつれ、さらに上の世界を見たくなりますした。
「強くなりたい。うまくなりたい。」
山中亮平選手も自身のラグビーをさらに磨くために、ラグビー強豪校である東海大大阪仰星高校への進学を決めたのです。
中学で頭角をあらわした山中亮平選手でしたが、高校では大きな壁を越えられずにいました。
高校3年生までは先発で試合にでることはありませんでした。
それでも、ラグビーを辞めずに続けてこられたのは、監督が山中亮平選手に声をかけ続けてくれたこと、そして何よりも、ラグビーが好きだったこと。
その後、早稲田大学ラグビー蹴球部に所属した山中亮平選手は、副将となるまでに成長。
そして、大学4年生の時には日本代表に初選出されました。
2011年には神戸製鋼に入団、2011年のラグビーワールドカップの日本代表強化選手にも選ばれました。
山中亮平が日本代表に選ばれたのはいつ?ポジションはどこ?
山中亮平選手が最初に日本代表に選ばれたのは、22歳の時でした。
その後、2015年ラグビーワールドカップではバックアップメンバーに選ばれています。
さらに、2019年のラグビーワールドカップ日本大会では日本代表に選ばれ、2021年以降も日本代表として活躍をしました。
そんな山中亮平選手は、2023年のラグビーワールドカップフランス大会でも選ばれることを多くのファンは予想していましたが、落選をしてしまいます。
「次の2027年大会にむけて頑張る」
気持ちを切り替えた山中亮平選手でしたが、思わぬ事態がおこります。
ラグビーワールドカップフランス大会の2戦目で、セミシ・マシレワ選手が怪我をしてチームを離脱したことにより、山中亮平選手は追加で招集されることとなったのです。
2019年のワールドカップではフルバックとして活躍した山中亮平選手。
今大会でも活躍してくれることと期待しています。
山中亮平のドーピング疑惑とは?
2011年ラグビーワールドカップのための、日本代表強化合宿中に行われた薬物検査で、陽性反応がでてしまいました。
原因は「育毛剤」。
髭を生やすために使用したのが原因でした。
それにより、2年間選手資格を失ってしまいます。
入団したばかりの神戸製鋼は退団、かろうじて、会社に残ることはでき、ラグビーが出来なかった期間は、それまでラグビー選手として自分を支えてきてくれた会社への恩返しのつもりで、会社員として仕事に励みました。
そして、2年後の2013年に、神戸製鋼に再入団することができ、今に至っています。
どれだけ辛かったでしょうか。
自分の撒いた種、とはいえ、ラグビーが好きでずっと続けてきたものができなくなるなんて、本当に辛かったと思います。
そんな状況を支えてくれたのが、結婚したばかりの奥さんであり、神戸製鋼に在籍できる道筋を作ってくれた、日本ラグビー界のレジェンドで当時、神戸製鋼のGMをしていた平尾誠二さんだったのかもしれませんね。
山中亮平の高校、妻、出身、日本代表ポジション、ドーピング疑惑のまとめ
まとめです。
・山中亮平の出身高校は東海大大阪仰星高校
・山中亮平の妻は、るみかさん。子供は3人です。
・山中亮平の出身地は大阪府大阪市住之江区。
・山中亮平の日本代表に初選出されたのは22歳の時。
・山中亮平のドーピング疑惑は髭をはやすために使用した「育毛剤」
最後までお読みいただきありがとうございました。
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